こんにちわ。わたしの世代の人は知っている俳優さんが次から次へと亡くなっていきます。つい最近では藤田まことさんが亡くなりました。去年の暮れには森繁久弥さんが亡くなりました。数年前には植木等さんが亡くなりました。その植木等さんは、わたしがまだ小学生の頃に「わかっちゃいるけどやめられない」と歌っていました。歌のタイトルは忘れましたが、そのフレーズだけはよく覚えています。実際、わたしたち人間には「わかっちゃいるけど止められない」ということはないでしょうか。悪いとはわかっていてもついついやってしまうようなことです。ここが人間が人間たるゆえんかもしれません。聖書ではこれを罪の行いと教えています。
ローマ書7章15節ー25節を読んでみます。
7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。
7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
7:22 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、
7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
