教会の一致とキリスト者の成長というテーマで録音しました。聞いてください。

こんにちは、横田キリストの教会の野々垣です。わたしたちの人生のなかでは、苦労や不幸が重なり八方塞のように感じる時があります。わたしにもそのような時期がありました。アメリカにいた時に極貧生活を送っていました。朝から晩まで働いている苦学生でした。この苦しみからいつ抜け出せるのだろうかと思ったものでした。このような時は何をやってもうまく行かないと感じるものです。このような苦難に打ち勝つための秘訣が聖書には書かれています。主なる神に祝された幸いなる生き方です。ではその秘訣が書かれているヨシュア記1章1節―9節を読んでみましょう。
1:1 主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。
1:2 「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。
1:3 モーセに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。
1:4 荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる。
1:5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
1:6 強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。
1:7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。
1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。
1:9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

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こんにちは、横田キリストの教会の野々垣です。今日も聖書のメッセージを聞いていただきありがとうございます。さて、今日は旧約聖書から学んでみましょう。
聖書には旧約聖書、新約聖書があります。旧約聖書は、簡単に言えば旧い契約の書と言えるでしょう。新約聖書は新しい契約の書です。新しい契約とは、イエス・キリストを通しての契約です。旧約聖書では、人間の罪の贖いのために動物のいけにえが捧げられていました。しかし、新しい契約下では、たった一度、わたしたちの罪のために十字架にかけられ、いけにえとなったのです。ここに大きな違いがあります。だから、わたしたちは、羊や牛を自分自身の罪のためにいけにえにする必要はないのです。しかし、旧約聖書と新約聖書、根本的なところでは神の教えに違いはありません。今日は、そんな普遍的な教えを申命記から学んでみましょう。まず申命記10章12節―22節を読んでみましょう。
10:12 イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、
10:13 わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。
10:14 見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。
10:15 主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。
10:16 心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない。
10:17 あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、
10:18 孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。
10:19 あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。
10:20 あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。
10:21 この方こそ、あなたの賛美、あなたの神であり、あなたの目撃したこれらの大いなる恐るべきことをあなたのために行われた方である。
10:22 あなたの先祖は七十人でエジプトに下ったが、今や、あなたの神、主はあなたを天の星のように数多くされた。

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横田キリストの教会の野々垣です。聖書メッセージを聞いて頂きありがとうございます。今日は、先週に引き続きクリスチャンの成長について考えてみましょう。クリスチャンになっても何も変わりがないという人がいます。クリスチャンになってばら色の人生が待っていると思っていた人にはがっかりするかも知れませんね。クリスチャンになったから急にお金が増えたとか、あらゆる病気が治ったとか、または希望の会社や大学に入れたとかいうことはないのです。では、何が変わるのでしょうか。

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こんにちは、横田キリストの教会の野々垣です。さて、クリスチャンになられて読者の皆様はどのくらい経つでしょうか。まだクリスチャンになっていない方もいらっしゃるかもしれませんね。クリスチャンになったばかりの人はまだ赤ちゃんのような状態です。霊的に成長するように神は望んでいます。自動販売機のようにお金をいれれば自動的に成長するようなものではありません。今日は、クリスチャンの成長のプロセスを考えてみましょう。
パウロはエペソの手紙3章14節―21節で次のように祈っています。読んでみましょう。
3:14 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。
3:15 御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。
3:16 どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、
3:17 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
3:18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
3:19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
3:20 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、
3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
さてこの祈りの意味は・・・
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昔からのことわざに「盗人にも三分の理」がある。その意味は、「泥棒が盗みをするのにも、それなりの言い分がある。どんなことにでも、もっともらしい理屈はつけられるということ。」確かにいろいろな事情があって盗みにはいる人がいるかも・・・。最近、火付け盗賊改めの長官を主人公にした鬼平犯科帳を読んでいる。この小説は良く書かれていて、人情話の中にも正義が保たれている。読んでいて胸熱く目頭があつくなってしまった。
20:15 盗んではならない。(出エジプト記20章15節)
実は盗みはいつの世でも犯罪なのだ。人が神の教えに逆らうもっとも初歩的な行いかもしれない。他の人の権利を侵害するだけじゃない。社会を混乱させ人間同士がお互いを食いつぶしてしまうのである。神の教え、戒めは、いつも人間たちにとって良い結果をもたらす。神は愛をもってわたしたちに戒めを与えてくださった。だからこの戒めを守って生きていこう。
夏本番、いろいろ観光地がにぎやかだ。遊園地のようなところも好きだが、やはり海や山の大自然に勝るものはないと感じてしまう。先日、伊豆大島へ旅行に行ってきた。
青い海原、果てしない地平線を二時間もあきずに見ていた。地球が丸いのがわかる。表面張力のように水が地球に張り付いているのがわかる。創造主なる神の知恵が自然にはある。海は塩水からなっている。なぜ塩水なんだろうか。宇宙の果てはどこだろうか。海の果ては?海の中の生物をみるだけで神の力を感じてその力に圧倒される。
創造主なる神に従うこと、これが人間の本分なのだろう。
男女の関係は古今東西あまり変わらない。というのも人間は肌の色や文化の違いこそ、罪をもっていることに変わりはないからだ。次の言葉を読んでみよう。
20:14 姦淫してはならない。(出エジプト記20章14節)
姦淫とは、神の御心に反した男女関係を指している。婚前交渉や他の人の妻や夫と関係をもつことなどを指している。キリストは、姦淫が単なる行いを指しているのではないと教えている。
5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。(マタイ5章27節ー29節)
姦淫は心の中で犯される。だからこそ、心で何を考えているのが問われている。動機が問われている。キリストによって心を清めてもらおう。今日もキリストと共に人生を歩もう。
聖書には次のような言葉が十戒にある。
20:13 殺してはならない。(出エジプト記20章13節)
動植物は、食料として人間に与えられている。しかし、人間は別だ。どこの国でも殺人は大罪だがなぜ人間を殺してはいけないのだろうか。
人間は神にかたどって、神に似せられて創造された。他の動植物と分けられて特別な存在として創造されたのだ。人間は自分たちの手によって人の命を絶つということは許されていない。それでも人間は罪を犯す。キリストはこの罪のために死んだ。殺人事件を犯した人でもキリストを信じれば神の恵みを受ける。今日もこの恵みを大事にしたい。
旧約聖書に書かれている十戒は、「神と人間の関係」と「人間同士の関係」について書かれている。次の聖句は親子の関係について。
20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。(出エジプト記20章12節)
どんな宗教でも教えていることがあるが、「親を敬う」をそんな教えの一つであろう。もしどんな宗教でも教えているのなら、なぜ聖書の教えがそれほど尊ばれなければならないのだろうか。「結局どれでもいいじゃん」とならないだろうか。実は、神はすべての人間に良心を与えている。その良心に従って人は親を敬うのだろう。しかし、罪人である人間は、自分の都合によって善悪の尺度を変える。文化によって時代によって、正しい教えを変えてしまう。しかし、神の御言葉は変わることはない。善悪の基準に変化はない。聖書には一貫性があるのに気づかされる。わたしは聖書は神の御言葉と信じている。
旧約の時代、神はイスラエルの人々に休息を与えた。次の言葉を読んでみよう。
20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。(出エジプト記20章8節ー11節)
忙しいのは美徳と考える人がある。毎日、途切れもなく働き続けている人たちがいる。この不景気の時代に仕事があることはいいことだ。しかし、仕事がなくても疲れてしまうのも人間だ。今一度、心を落ち着けるために止まってみることも必要だ。自分が何を目的にどこへ向かおうとしているのか、休んで考えてみよう。忙しい時間を過ごしていると、自分がどこにいるのかも忘れてしまう。人生の休憩時間を見つけよう。あわてても、何にも変わらない時があるものだ。わたしが交通事故で3ヶ月入院した時、この事実について教えてくれた。今日もキリストにあって心の安らぎを頂こう。
「苦しい時の神頼み」と言われるが、苦しい時に神により頼んではいけないのだろうか。次の聖句を読んでみよう。
20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。(出エジプト記20章7節)
わたしたちは、「生きる」すべてにおいて神の恵みに頼って生きているのである。楽しい時もつらい時も、いつも神により頼むべきだろう。だから、苦しい時だけ神に願っても、神がわたしたちの祈りを聞いてくれるだろうか。神は、わたしたちの心からの信仰、祈りを受け入れてくださる。いつも神に感謝しよう。
創造主なる神以外に力ある方はいないと聖書は教えている。次の聖句を読んでみよう。
20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。(出エジプト記20章4節ー6節)
人は、唯一の神を物に代えてしまった。人間、動物、植物、太陽、星、その他もろもろ、自然界にあるものを神仏としてしまった。最近は占いの記事、また朝のテレビでも占いを流している。手相から星占いまでいろいろだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦というが、仮にその占いが本当であってもそんなものに自分の人生を委ねるのは愚かではなかろうか。
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各国の歴史、各個人の人生の歴史にはターニングポイントのような時がある。旧約の時代に生きたイスラエルの人々にとってのターニングポイントは、エジプトの奴隷から解放された時であろう。神はイスラエルの人々に語った。その一部を読んでみよう。
20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(出エジプト記20章1節ー3節)
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先日、結婚について書いたら次のようなご意見を頂いた。
「結婚は我慢と忍耐ですか…それなら結婚しないほうがいいと思います。我慢と忍耐だったら愛は冷めませんか(笑)?」
「結婚は我慢と忍耐」と言った人たちは、非常に仲の良いカップルたちだ。一組や二組ではない。わたしの表現がまずかったかなと思う。日本語で我慢と忍耐いうと、「じっと何も言わないで耐える」というイメージがあるかもしれない。そのような忍耐でも我慢でもない。聖書は確かに忍耐を教えている。
3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。(コロサイ2章12節ー13節)
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。(ローマ12章9節ー12節)
「我慢と忍耐だったら愛は冷めませんか?」冷めないですよ。神の愛があるから。
人が成長する時の表現として「一皮むける」という言葉を使う。蛇や蟹の脱皮ではないが、人間には精神的な脱皮があるようだ。体だけ成長しても心の成長が伴わないと、どうにもアンバランスだ。では、人はどのように成長するのだろうか。
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創世記12章からアブラハムの人生を読んでみると、信仰の特性が理解できる。
信仰という字は、信じて仰ぎみると書く。天にいらっしゃる神を仰ぐ見るのである。アブラハムは神を信じたが、最初の信仰は小さかった。信仰は、時間と共に育つものだ。神との関係が強められる。人の信仰は神の愛をうけて育つ。神の愛と恵みを受けてみよう。素直に受けてみよう。きっとあなたの信仰が育つ。
人の絆って大事だと思う。「同感。でもそんなことはわかっている」という声が聞こえてきそうだが、今の世の中そのわかっていることが出来なくなってしまっている。わたしが育った40年前はもう少し良かったか?でもこれはわたしの望郷の思いに過ぎない。今日は絆について考えてみよう。
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最近は、結婚率が低いと聞く。確かにわたしの周りには独身男性、女性がたくさんいる。なぜ?という社会的考察は専門家に任せよう。しかし、本来の男女の関係は結婚という形で結ばれる。神は結婚を祝された。
2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(創世記2章24節)
さらにキリストは次のように言っている。
19:6 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。(マタイ19章6節)
結婚は一生もの。相手が亡くなるまで一生続けるべきもの。神は夫婦が別れるのは望んでいない。ある人が「結婚は我慢と忍耐」と言っていた。確かに・・・
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相撲界が騒がしい。マスコミで取り上げられている力士たち、親方たちは、今どんな気持ちで推移を見守っているのだろうか。「もし、この人と会っていなかったら・・・」「最初から断っていれば・・・」と考えている人もいるかもしれない。あるいは、運命だと考えている人もいるかも・・・。「もう何十年もやっているではないか。捕まらないでいた人たちが何人もいたではないか。俺は運が悪かった」と考えている人もいるかもしれない。どう考えたらいいのだろうか。
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カインとアベルの話を読むたびに考えさせられる。
4:1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。
4:2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。
4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、
4:5 カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
4:6 主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
4:7 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
4:8 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
4:9 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
4:10 主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
4:11 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
4:12 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。
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罪を犯したアダムとエバに神は次のような言葉を言う。
3:16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
3:17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
3:18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。
3:19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記3章16節ー19節)
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アダムとエバが罪を犯した後の言い訳がおもしろい。
3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
3:11 神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
3:12 アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
3:13 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」(創世記3章9節ー13節)
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アダムとエバは、食べてはいけないと命令されていた木の実を食べてしまう。その箇所を読んでみよう。
3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。
3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
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人間は神のかたちとして創造された。
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1章27節ー28節)
人間は他の動植物とは区別されて創造されたのだ。確かに人間は他の動植物とは違う。これは偶然の結果ではない。神の目的によって、すべてが創造された事実をわたしたちは理解すべきであろう。
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今日は神の創造について考えます。
1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
1:3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
1:6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
1:7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
1:8 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
1:9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。
1:11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
1:12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
1:13 夕べがあり、朝があった。第三の日である。
1:14 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
1:15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
1:17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
1:18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
1:19 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
1:20 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
1:21 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
1:22 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
1:23 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
1:24 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。(創世記1章1節ー31節)
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明日より、創世記の学びを連載をアップします。どのくらいの頻度でアップできるかわかりませんが、全力を尽くします。
よろしくご期待ください。聖書の基本的なメッセージを載せます。
それから、聖書入門講座DVDもよろしくどうぞ、申し込んでください。もちろん無料です。「ただより高いものは高いものはない」と言われます。わたしは意味は違いますが、次のように答えています。イエス・キリストのメッセージですから高いです。だけど、金銭は無料です。
2ヶ月前に交通事故を起こした。助手席に座っていた人が、渋谷駅が近かったので降りようとした。ドアを開けた時、後ろから来たバイクがドアに追突。バイクに乗っていた人は横にいた車、前にいた車4台にぶつかって大怪我。事故がおきた時はおそらく、わたしは顔面蒼白だったと思う。事故処理のためにそこに3時間くらいいたか。それから警察に行ってまた3時間。恐ろしい事故だった。善意をもってすべて対処したつもりだ。金銭面では、幸運にも保険会社がすべて処理してくれた。もし相手の方が死んでいたらと考えるだけで・・・言葉が出ない。
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7:13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
7:14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7章13節ー14節)
果たして自分は狭い門から入っているだろうか。安易な方法を求めていないか。純粋な信仰をもって従順に従っているだろうか。話す言葉、言動はどうだろうか。こう考えてみると・・・身も心も引き締まる思いになる。自分をいくら吟味してもたりないものがある。自分を自分で清めることは出来ないから。だから、主イエスの名によってすべて洗いざらい告白してしまおう。後は、主にお任せだから。ただ主に愛して、主に従う信仰をもって今日も生きよう。日々、霊的な戦いはあるから。
クリスチャンはキリストの弟子だ。
10:38 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
10:40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
10:41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
10:42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
主の弟子とは、キリストから学ぶ者である。同時にキリストのために、兄弟姉妹のために奉仕する。マリアとマルタはどちらもキリストを慕い求めていた。弟子として当然のことを行っていた。優先順位をどこに置くかというと、キリストから学ぶことにあるのだろう。具体的にキリストにある訓練を述べてみると・・・
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キリストの弟子になりたいと決心していったい何年たつだろうか。
10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
このような聖句を読む時、じぶんは「まだまだだな」と痛感する。上記の聖句は、別に親兄弟を捨てるという意味ではまったくない。それでは・・・?
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より多くの人たちのご意見やご感想を聞きたいので、しばらくコメント投稿をオープン化させていただきます。
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主イエスは愚かな人と賢い人を比較している。
25:1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
25:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
25:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
25:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
25:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(マタイ25章1節ー13節)
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こんな時代だからかもしれない・・・今日もまたホームレスの方が来た。
話を聞いてあげて食事を与えてあげた。粗末な食事であった。というのも、これは、わたしのランチだったから。これしか手元になかったものだから、とりあえずあげたのだが、、、。
わたし自身、あまり食事にはこだわらない方なので、粗食である。食べられて満足!のタイプである。
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5:8 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
黒いサングラスをかけて景色を見れば暗く見える。黄色いサングラスをかけると黄色がかって見える。
目が慣れてくると不思議な感じはしない。こんな当たり前のこと・・・なんで書いているの?と
思うかもしれない。
実は聖書を読むにも同じようなことがいえる。
どういう色を通して聖書を読んでいるのだろうか。
どんな色のメガネをかけて聖書を読むたくはない。
聖書の御言葉が心に素直に入るように祈っている。
スポンジのように御言葉のすべてを吸い取り、生きていきたいと願っている。
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先週の金曜からホームレスの方が教会に寝泊りしていた。青森から出てきて10年間ホームレスをしていたそうだ。そんな生活になれてしまったのだろう。まず、わたしが最初にやったことは食事のお世話。次にシャワー。翌日、散髪してあげた。さすがに気持ちよさそうにしていた。そして、昨日、市役所に連れて行ってあげて・・・
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わたしの父親は二度離婚した。実の母親はアル中であった。父も母も義理の母もみんな他界してしまった。いろいろな困難の中でも、わたしを育ててくれたと感謝の気持ちだけは忘れない。そんな環境で育ったから、結婚が難しいのはよく知っている。生まれ育った環境が違った男女が共同生活をするのだから。お互いに妥協点を見出していく必要があるのだろう。夫婦喧嘩をしない夫婦は少ないだろう。しかし、小さな揉め事が積もり積もって大きな雪だるまのようになってしまう時がある。実際、うまくいかない原因はどこにあるのだろうか。
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「人生の棚卸」というのを一度やったことがある。10ページくらいの中にいろいろ質問が用意されている。大げさな自己吟味と言ってもいいかもしれない。これは結構、面倒だけど、かなりためになる。自分には、性格的にどんな傾向があって、どんな失敗をしやすいのか。人間関係、人との意思疎通、内向きの性格なのか、外向きの性格なのか、情緒、自己評価、自分のイメージなどなど・・・。いろいろ考えさせられる。
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わたしがまだ20才の若い頃の話。
わたしは喫茶店で働いていた。そこの上司がめっぽう親分肌の人で、わたしもその「親分」にほれて仕事をしていた。ある事件をきっかけにその人の正体が明らかになる。裏切られたと思った。それ時からしばらく人間不信に陥ってしまった。人を信じられなくなってしまった。そして主イエス様に出会った。人間を見ないで主を見ようと考えた。一方で人間不信はなくならなかった。
ある時、主イエス様をあるクリスチャンに見ることが出来るようになった。自分と他人を比較して劣等感に陥ったり優越感に浸るのはよくない。しかし、人々から学ぶことができる。自分の行動を振り返る。また尊敬できる人の行動をお手本にできる。学ぶことができる。同時に自分は自分でしかないことも知るようになった。自分の言動に責任をもちつつも、他の人の重荷をも負えるようになった。お互いに支え合う人間関係、これは主いす様の恵み。これは主イエス様が与えてくださった恵みに満たされた人間関係だ、とわたしは信じている。主は、友人を通してもわたしに教えてくださっている。感謝、感謝。聴く耳を持とう。
わたしはある刑務所にいる人と文通をしている。その人から昨日、手紙が届いた。幸運にもこの方のお母様は教会の近くに住んでいて会うことが出来た。この文通はもう三年にもなろうとしている。この方の人となりを知るようになり、感謝の気持ちが湧き上がってくる。この方が主イエス様をまっすぐと受け入れてくれている信仰に感謝する。苦労や困難にもめげず、主イエス様にまっすぐに目を向けている。過去は過去と割り切っている。わたしが書いた手紙を読んで涙がでるほど嬉しかったと読んで、こちらも何か目頭があつくなってしまった。
今年、この方を慰問するつもりである。人間の縁とは不思議なものだ。この縁を大事にしようと思う。
人間にはいつも2つの道が用意されているようだ。
諭しをなおざりにする者は魂を無視する者。懲らしめに聞き従う人は心を得る。(箴言15章32節)
善を選ぶか、悪を選ぶか?主の教えに従うか、従わないか。主イエス様は、賢い者と愚か者はどんな人かを説明している。読むたびに、例え話には愚かな自分がいると感じる。だから、主イエス様の教えに従って知恵と力を頂こうと祈る。いくら年齢を重ねてもまだ愚かな自分を見ると、毎日が悔い改めと決心して生きている。主によって変えられよう。一皮むけるために主イエス様の教えに従う決心をした。
数ヶ月前、ある人から自分の過去、生い立ちを聞いた。4通の長いメールの中で自分が生まれ育った環境、親や兄弟のこと、親戚のこと、また学生時代についていろいろ書いてくださった。すべての人間がそうであるように、この方にも失敗や苦難がたくさんあった。この方から多くのことを学ばさせていただいた。その一つを紹介しよう。
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わたしたちが賛美する歌の一つに「望みも消え行くまでに」というタイトルがの歌がある。その一番の歌詞は
望みも消え行くまでに 世の嵐に悩む時
数えてみよ主の恵み なが心は安きを得ん
数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み
どれだけわたしは恵まれているのかと考えると不平不満は言っていられない。
他の人と比較して「わたしはあの人より給料が低い。家が小さい。車はもっていない。」と言い始めればどうだろうか。
下を見たらきりがない。上を見てもきりがない。今、与えられているものに感謝しよう。この気持ちは大切ではなかろうか。
人にはそれぞれ、いうに言われぬ重荷があるようだ。それを知らずして良いとところばかり見て羨ましがっている人がいる。ない物ねだりという事かもしれない。今日、主に生かされている事実を見る時、心から感謝の気持ちをもってしまう。「数えてみよ、主の恵み」を歌って今日も過ごそう。
若い時、憧れの人、尊敬できる人をもっていた。若い時にそうのような尊敬できる人間を身近にもてるのは恵まれているのかもしれない。
しかし、年を重ねるうちに人間は自分と他人を比較するようになる。憧れの目はない。羨望の目だけが残ってしまう。さらに尊敬いていた人に失望してしまうこともあるかもしれない。多分、期待が大きすぎたのかもしれない。これは不健康だ。
わたしはこの年(50才)になっても自分が尊敬できる人を持っていたい。その方からいろいろ学びたい。でも自分とその人を比較するようなことはしない。実はそこは微妙な線引きが必要。
6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、"霊"に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
6:3 実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。
6:4 各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。
6:5 めいめいが、自分の重荷を担うべきです。
6:6 御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。
6:7 思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
6:8 自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
6:9 たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。
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物事を否定的に見る人、肯定的に見る人、いろいろである。
コップに半分の水が入っている。半分しか入っていないと不満を言うか、半分も入っていると感謝するか。
物事を白黒でしか見れないタイプの人がいる。一つの失敗で全部ダメと思ってしまうタイプである。
完璧主義者の人である。
わたしがこのようなタイプの人間であると気づかされたのは、もう20年も前のことである。
困った性格である。主イエス様がわたしのこんな偏屈な性格を気づかせてくれた。
感謝、感謝である。
4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。(ピリピ4章8節)
心にあるものが言動にでてくる。主に目を向けて今日も生きていこう。
人生は出会いによって左右されやすい。いい出会いもあれば悪い出会いもある。悪い出会いが向こうからやってくる場合もあれば、自分自身で悪い出会いにしてしまう場合もあるだろう。いずれにせよ、いい出会いを大切にしたいものである。
主イエス・キリストとの出会いはわたしを変えてくれた。さらに周囲のクリスチャンはわたしに大きなインパクトを与えてくれた。この出会いを大切にしようと思う。このようなクリスチャンの友達がいなければ今のわたしは存在していないと言っても過言ではない。泣いて笑って、悲しみと喜びを分かち合った人たちである。たまには耳の痛い事をいってくれる人たちである。だからこそ、大事にしようと思う。
聖書には主イエス・キリストに出会って、またクリスチャンと出会って人生が変えられた人たちの物語がたくさんある。わたしもそんな一人だと思う。今日という日を精一杯生きるためにこの出会いを大切にしよう。
わたしの周りには幸運にも、様々な人生の先輩がいる。たまに耳の痛い事を言ってくれる人もいるのである。人の意見を聴く耳は大事だと思う。最近も、自分の落ち度を指摘してくれた人がいた。これを素直に聞くのか、それとも自分がやっていることを正当化しようとするのか、いつもそこには誘惑があるように思う。
9:7 不遜な者を諭しても侮られるだけだ。神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。
9:8 不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
9:9 知恵ある人に与えれば、彼は知恵を増す。神に従う人に知恵を与えれば、彼は説得力を増す。(箴言9章7節ー9節)
反省すべき点、誤り、間違いは認めるべきであろう。認めたからと言って、自分が落ちるわけではないのだから。以前、愛の鞭といって私を叱咤してくれた人がいた。あの時は確かにその言葉は心に痛かったが、今、考えると良かったと思う。自分が聴く耳を持ってよかったと感謝している。
逆も真なりで、聴く耳を持たない人には誰も何も言わなくなる。注意しても逆に怒りをかうだけだから。いつも広い心をもって主イエス様が教えてくれる言葉に耳を傾けたいものである。
夫婦そろってクリスチャン、家族そろってクリスチャン、先祖代々クリスチャンのような人たちは、日本では残念ながら少ない。多くの人たちが、家系の宗教と別の道を選んで、主イエス・キリストを選んだ。それでも辛抱強く家族に伝道しようとしている女性たちを見ると涙が出てきそう・・・。自分はクリスチャンではないけど、妻といっしょに教会に来ている人もいる。うれしいく思う。まったく逆のカップルもいる。夫がクリスチャンで妻が違う場合。でも、最後は自分の選択だ。「夫が信じるから・・・私も・・・」ではないだろう。
人間にとって家族、子供、親が大事な存在であるのは言うまでもないだろう。しかし、何よりも大事なものがある。主イエス・キリストご自身でありその教えだ。この教えに従って子供たちを大切にしよう。家族を大切にしよう。
TBSラジオの人生相談を時々聞く。カウンセラーが、「人生の軸足」ということばを使っていた。この言葉、非常に重要だと思う。何に人生の軸足を置くのか。家族、仕事、子育て、結婚、趣味、友人関係など、いろいろ軸足をおけるものがいっぱいある。子育てに軸足をおいていると、子育てが終わると何かやることがなくなってしまう。仕事に軸足をおくと、定年退職するとこれも何もやることがなくなる。家族に軸足をおく人もいる。家族の幸せが自分の幸せだと考える人がいる。人に尽くして人が喜ぶのが自分の幸せと感じる人もいる。人それぞれといえよう。だけど・・・
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むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマ12章2節)
主イエス・キリストは、わたしたちが主の御心に従って変えられるのを望んでおられる。ところが、人間ってなかなか変えられない。長年、染み付いたシミのようなものが、体内に残っている。言動に出てくる。悪いパターン化した考えが出てきてしまう。「わたしは、これだと・・・ダメだから」と言いたがる。
最近、気分転換に小説を読み始めた。小説に出てくる人は架空の人物だが世の中には似たような人がいる。人間研究にもなる。自分自身を見つめるいい機会になる。いろいろな人間模様がある。わたしのような仕事をしている者にとってはすごくプラスになる。これは余談。
人間が一皮むけるために、成長するためには、自分から主イエスの胸にどびこむ勇気が必要。同時に、主イエスをそのままそっくり受け入れる勇気も必要。自分の意志を大切、でも同時に主イエスの助けも必要。心から主イエスの助けを受け入れよう。
昨日は、近くの公共の風呂に行ってサウナに入ってきました。汗をかき体中の不純物を出したような気がしました。実際はそうではないと思いますが、、、はい気持ちの問題です。気分もすっきりしました。ところで日ごろの生活でこのような息抜きは、時折必要ですね。精神的にいつも追われている人もたまに休みを意識的にもらうことも必要かなと思いました。
旧約の時代には安息日がありました。新しい契約下でもこのような休みの原則があるとわたしは考えています。仕事、仕事、休みもなく、家事、家事、一日中働き続けていたらよくないですね。自分もその傾向が強いので、意識的に気をつけています。
世の中を見まわして、また日々ニュースを聞いていると、思わず目を背けたくなる時があります。暗いニュースが多すぎて心がすさんできます。かといって現実逃避はできませんから・・・。
まずわたしは祈ります。主イエス・キリストに名によって祈ります。神の御国が来て御心が行なわれるように。主に目を向けてわたしに出来る善いこと、どんな小さなことでも、(たとえば笑顔で人に接すること)やっていこうと心に決めました。今日も、主の愛が人々の心に注がれ、その愛に一人でも多くの人たちが気づきますように。
今日という日を生きるためには、過去には生きられない。今日という日も明日には過去になってしまうけど・・・。でも過去を反省しなければ、過去から学ばなければ、同じ失敗をするだろう。未来のことを夢見てばかりでも、今日という日を生きられない。
4:13 よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、
4:14 あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。
4:15 むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブ4章13節ー15節)
主イエス・キリストに軸足をしっかりおいて生きていこう。これこそが一番確かな道だから。今日という日をしっかりと生きよう。
昆虫には脱皮という成長過程があります。蛇とかにもありますね。比喩的ですが、人間にもあるように思えます。「一皮むける」のです。過去とかにとらわれていると、なかなか一皮むけません。今、与えられている試練と苦難を乗り越えていこうという気持ちが大切ですね。そして何よりも主がわたしの中で働いてくださるという実感がわいてきます。 ここ6ヶ月ばかり、いろいろ難しいことがたくさんあって悩んでいたのですが、一皮むけたような気がします。主が与えられた試練を喜んでいるような嬉しいようなそんな気持ちを持っています。感謝、感謝、感謝の毎日です。
昨日は、Sさんという方が教会の礼拝にいらしてくださいました。この方のお子さんは聖望学園という中学に通っているとの事。実は、わたしが通っている歯医者さんの娘さんもこの中学に通ってます。そのお二人、クラスメートで仲良しとの事でした。奇遇です。主がSさんを引き続き導いてくださることを祈ります。
聖書入門講座DVD版が完成しました。受講希望の方は住所、氏名明記の上、メールをください。japan4christ21@yahoo.co.jp
郵送させていただきます。
最近の世の中ではストレスがたまることが多いですね。生活的に苦しいこともあるでしょう。
人間って不思議ですね。まったく同じような境遇にいながら、ある人は不平不満を言って過ごす人もいれば、それでも感謝の気持ちをもって過ごす人がいます。わたしたちの教会には、苦しい生活の中でも感謝を持っている教会員がいます。この方の生活環境は、わたしの想像を超えています。よくやっていると本当に感心させられます。僕だったらちょっと耐えられないかもしれないと思ってしまいます。しかし、こんな人にはついつい応援の手を差しのばしたくなるものですね。そして感謝をもって生きている人をみると、こっちも元気をもらいますから不思議です。
ところが、悲しいかな、自分の試練をすべて世の中のせいにしている人もいるのです。このような人からは友達もいなくなってしまうのです。悲しいですね。
ついつい愚痴をいいたくなるような時でも、人の悪口を言いたくなる時でも、気分的に落ち込むような時にこそ、主イエス・キリストに目を向けてみましょう。きっと感謝の気持ちがわいてくるはずです。明るい気持ちがわいてきます。

パウロの祈り エペソ1章15節―23節
クリスチャンにとってもっとも大切な事は、主イエス・キリストを本当に知ることです。主イエスと本当に親密な関係を持つことです。逆に言えば、イエス・キリストと1対1の親密な関係をもっていないのは致命的なのです。しかし、残念なことに日本には一応クリスチャンが多いのです。何ちゃってクリスチャンです。クリスチャンの洗礼を車の免許証や大学の卒業証書のように考えがちなのですが、それは間違いです。クリスチャンの洗礼、つまりバプテスマは、イエス・キリストの学校に入ったスタート地点にたったようなものです。クリスチャン人生はよくマラソンにたとえられますが、イエス・キリストといっしょに一生歩むマラソンです。長い道のりですが、ゴールはあるのです。天の御国というゴールがあります。
怪我をした時に、応急処置を怠ったために命をおとしてしまったという話を聞いたことがあります。また子供が、ライターでいたずらをして火事になって家が全焼してしまったという話もありますね。このような人たち、子供たちは、物事の重大さを知らなかったのです。このように知らなかったがために、大きな事故になることはあるのです。無知ゆえの失敗は赦されることが多いでしょう。しかし、クリスチャンが本当にイエス・キリストを知らないほど悲しい話はないのです。だから、パウロは、クリスチャンのために祈っています。エペソ1章15節-23節を読んでみましょう。
1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、
1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、
1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。
1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

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茨城キリスト教大学で「キリストの教会 春季合同礼拝」が行なわれました。250人ほどの人が礼拝に参加しました。横田教会から3人が出席しました。

わたしは根がせっかちな性格です。それは自分でも十分に承知しています。
だから、出来る範囲で出来ることから始めようと心がけています。これはわたしにとって結構、大事な原則です。
意識的にこの原則を実践しないとどうしても事を急いてしまいがちだから。
御元気ですか。
神から離れた人間は、さ迷い人であると数週間前に言いましたが、一見、幸せそうな人でも実は創造主なる神から離れた人間は、本来の人間の姿ではないのです。創造主なる神によって創造された人間には、神によって与えられた目的があるのです。その目的どおりに生きることこそ本来の人間の姿であると説明しました。
しかし、この世の中を見回してみますと、神様から離れてしまっている人が大勢いるのに気づかされます。人生の歯車が狂ってしまった人たちが大勢いるのです。狂って当然です。なぜでしょうか。目的どおりに生きていないからです。このような狂った世の中に生きているわたしたち人間に希望はあるのでしょうか。
夢
「大きくなったら何になりたい?」という質問は子供のころ、わたしが聞いた質問です。つまり将来の夢は何?という質問です。男の子であれば野球の選手やサッカーの選手になりたいと思っている人もいるかもしれません。毎年、100人くらいの人たちがドラフトでプロ野球に入っていきます。たとえドラフトで一位に指名されてもその中で生き残り本当にプロ野球の選手としてやっていけるのはほんの一部なのです。夢は、挫折へと変わっていきます。
あなたの夢は何でしょうか。将来、どんな事をしたいと思いますか。10年後、あなたはどんな事をしているでしょうか。
中国の思想家である魯迅が次のように言っています。「希望とはもともとあるものだとも言えないし、ないものだとも言えない。それは道のようなものである。地上にはもともと道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。」
他の人々の成功しているのを見れば、ようし僕も挑戦してみようと気になるんもんです。そのような意味で魯迅は言ったのでしょうか。いずれにせよ、希望とは自分で作っていくものだという意味でしょう。
辞書によれば希望とは、「自分がこうなりたい、人にこうしてもらいたいとよりよい状態を期待して実現を願うこと」と書かれています。ヘレン・ケラーが次のように書いています。「希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ成就するものではない。」確かにそうかもしれません。
しかし、何に希望をおくのでしょうか。幸せになりたいとは誰もが思うでしょう。だから人は・・・したら幸せになるはずと考えます。たとえば、仕事に希望を持つ人、また結婚に希望を持つ人、結婚すれば幸せになれるはずと考えるのです。でも本当にそうかな?自分自身が変わらなければ何にも変わらないのではないでしょうか。この世の中の物に希望をもてば遅かれ早かれ落ち込みます。でも今、現在、落ち込んでない人たちもいるのも事実です。だから人はだまされやすいのです。
さて今日はその夢を追い続ける人の話をしたいと思います。ルカの福音書15章11節―24節まで読んでみましょう。
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
15:23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

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おはようございます。
今日も神の御言葉からお話させていただくことに心から感謝しています。またわたしたちが、神の御言葉から学び実生活に生かしていきましょう。今日はエペソの手紙1章3節―14節から学んでみましょう。
1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
1:4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
1:5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
1:6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
1:7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
1:8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、
1:9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
1:10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
1:11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。
1:12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

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(マタイ6章31節―45節)
今日の聖句を読んでみましょう。
6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

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最近、子供が虐待されて死ぬ事件があちこちでおきています。信じられない事件かと思われますが、これも罪で満たされた世の中ですから不思議なことではないのでしょう。親が子供を殺してしまうのも不思議ですが、子供が親を殺してしまう事件もあちこちでおきていますからますます世の中はくるっているということでしょう。
しかし、親子の愛を痛切に感じた事件も2007年に起きています。福岡県で酔っ払いの運転手が止まっていたワゴン車に衝突してワゴン車は、海に落ちてしまったのです。ワゴン車は、親子5人が乗っていたのです。母親は、子供を救うために3度もすもぐりをしたと聞いています。おそらく泣きながら海の中を潜っていたのでしょう。そんな親子の愛がありますが、結末は悲しい事件になってしまいました。三人の子供の命は亡くなってしまいました。
さて、わたしたち子供を持っている者として、子供は非常に大切な存在には違いはありませんが、イエス様は何と言っているのでしょうか。マタイ10章37節―38節を読んでみましょう。
10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。

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こんにちわ。わたしの世代の人は知っている俳優さんが次から次へと亡くなっていきます。つい最近では藤田まことさんが亡くなりました。去年の暮れには森繁久弥さんが亡くなりました。数年前には植木等さんが亡くなりました。その植木等さんは、わたしがまだ小学生の頃に「わかっちゃいるけどやめられない」と歌っていました。歌のタイトルは忘れましたが、そのフレーズだけはよく覚えています。実際、わたしたち人間には「わかっちゃいるけど止められない」ということはないでしょうか。悪いとはわかっていてもついついやってしまうようなことです。ここが人間が人間たるゆえんかもしれません。聖書ではこれを罪の行いと教えています。
ローマ書7章15節ー25節を読んでみます。
7:15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
7:16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。
7:17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
7:20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。
7:21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。
7:22 「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、
7:23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
7:24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
7:25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

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みなさん、お元気ですか。わたしはひどい風邪をひいてしまいました。そんなわけでメッセージも久しぶりになりました。さて今日はヘブル12章1節―2節を読んでみましょう。
12:1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 12:2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

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お元気ですか。横田キリストの教会の皆様。教会での礼拝に来れないのは残念ですが、ネットを通してこのように神様の御言葉からごいっしょに学べること感謝しております。今日は、ヨハネ17章20節―26節をまず読んでみましょう。
17:20 また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
17:21 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。
17:22 あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
17:23 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。
17:24 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。
17:25 正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。
17:26 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

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お元気ですか。今日は旧約聖書から神様の愛について考えてみます。イザヤ43章1節―7節を読んでみます。
43:1 ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
43:2 水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない。
43:3 わたしは主、あなたの神/イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。わたしはエジプトをあなたの身代金とし/クシュとセバをあなたの代償とする。
43:4 わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする。
43:5 恐れるな、わたしはあなたと共にいる。わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り/西からあなたを集める。
43:6 北に向かっては、行かせよ、と/南に向かっては、引き止めるな、と言う。わたしの息子たちを遠くから/娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。
43:7 彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者。

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お元気ですか。雪が降り季節感があっていい気持ちです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。さて今日は、イエス様のいけにえについて考えてみます。ヘブル9章23節―28節からお読みします。
9:23 このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。
9:24 なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。
9:25 また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。
9:26 もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。
9:27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、
9:28 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

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お元気ですか。インターネットを通して、今日も皆様とごいっしょに、神様の御言葉から御心を学べることに心から感謝しております。御言葉は、わたしたちにいつも光を与えて下さいます。その恵を十分に今日も受けましょう。
さて、今日は祈りについて考えてみましょう。クリスチャンにとって祈りは、主の御言葉とならび絶対に必要なものです。しかし、この祈りは勘違いしやすいものです。間違った概念によって間違った祈りをしやすいものです。
イエス様は祈りについて、福音書の多くの箇所で教えています。イエス様ご自身が祈った祈りは、ヨハネ福音書17章1-5節に書かれています。読んでみましょう。
17:1 イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。
17:2 あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。
17:3 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
17:4 わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
17:5 父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。
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お元気ですか。寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。今朝も聖書を読み自分の罪の深さを知り、今日も主に委ねて生きていこうと新たに決心しています。今日はローマ5章6節―11節をお読みします。
5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
5:10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
5:11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。(ローマ5章6節ー11節)

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お元気ですか。寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。今日はヨハネの第一の手紙1章7節―10節をお読みします。
ヨハネ1章7節ー10節
1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
1:8 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
1:9 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
1:10 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。

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お元気ですか。今日も聖書の御言葉、イエス様の御言葉から神様の御心を知ることができることに感謝しております。この時間はクリスチャンの特権でもあります。特権というのは大事にしないといけません。特権をむやみに扱っていると取り上げられてしまうこともあります。運転免許に似たようなところがあります。乱暴な運転や規則を破り続ければ免許停止ということもありますから。特にわたしたちが聖書を読むときはその特権の重要さを理解したいものです。
また祈りも特権ですね。祈りは生きているイエス様との会話です。独り言でも呪文でも暗示でもありません。神様とつながり会話をしているんです。聖書の御言葉と祈りは車の両輪のようなものですね。ないと走れません。
さて今日はヨハネ15章18節―25節を読んでみましょう。
15:18 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。
15:19 あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。
15:20 『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。
15:21 しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。
15:22 わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。
15:23 わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。
15:24 だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。
15:25 しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。

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お元気ですか。今朝も聖書を読んで大きな恵を頂きました。イエス様の僕として生かされている喜びと感謝を感じ、また自分自身の罪の深さゆえにイエス様が十字架で身代わりとなって死んだことに驚きと感謝の気持ちを持ちます。さて、今日はイエス様の人間としての生き様を見てみましょう。
ヘブル5章7節―10節をお読みします。
5:7 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
5:8 キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。
5:9 そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、
5:10 神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。

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お元気ですか。今日は暖かい日ですね。日差しも暖かい、風も余りありません。小春日和とはこのような日を言うのかもしれません。今日も神様の御言葉から学べること、心から感謝しております。また神様の愛を受けて、罪から離れ聖なる民として生きていこうと考えております。さて、今日はイエス様がわたしたちと父なる神様の仲介者であるという点に着目してみます。
ヘブル2章17節―18節、4章14節―16節をお読みします。
2:17 それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。
4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
4:16 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

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横田キリストの教会のメンバーの皆様、お元気ですか。今週もネットを通して聖書の御言葉をいっしょに学べることを心から感謝しています。聖書の御言葉はわたしたちの灯火として輝きわたしたちの心に光を与えて下さいます。
わたし自身、聖書を毎日読み、神様の愛の深さを感じ、また自分の罪の深さをしり、自分こそ悔い改めなくてはいけないと感じております。今日、読む聖句もわたしたちクリスチャンにとって良い薬になる御言葉です。良く噛みしめて味わいましょう。
今日はヨハネ15章1節―17節を読んでみましょう。
15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
15:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
15:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

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お元気ですか。寒い日が続きますね。今日は、聖書配信した聖句からお話をします。
ピリピ2章1節―11節をお読みします。
2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
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イエス・キリストと聖霊
今日は中国の儒教の話から始めたいと思います。儒教には5つの道徳的概念があります。仁、義、礼、智、信です。仁は人を思いやること、義は利欲にとらわれないこと、礼は仁を行動で表すこと、智は学問に励むこと、信は言明をたがえないことです。それぞれ重要な概念です。イエス様の教えと共通点がありますね。しかし、イエス様が教えたこと、なさったことが儒教とまったく同じであったらイエス様がわざわざ天からこの地に降りてくる必要はありませんでした。イエス様が教えたこと、なさったことには明らかに相違点があります。まずはイエス様の十字架での死です。わたしたちの罪のために死なれました。そしてイエス様の死からの復活があります。永遠の命が与えられるという約束があります。
今日はもう一つ大きな違いについてお話します。ではその聖句を読んでみます。(ヨハネ14章15節―31節)
14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
14:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
14:19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
14:20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
14:22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。
14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
14:28 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
14:29 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。
14:30 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。
14:31 わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」

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新年あけましておめでとうございます。横田教会のメンバーで今ネットでメッセージを聞いている方、今年もよろしくお願いします。今年も神様の御言葉を心に刻み日々過ごして行きたいと願っております。皆様の今年の目標は何でしょうか。わたしは毎年、同じになってしまうのですが、聖書を通読して祈りに励みたいと思います。今年はもっとイエス様に目を向けて歩かなきゃいけないと考えています。
さて今日はそんな考えもあってか、というか偶然なのですが、ヨハネ14章1節―14節からお話をさせていただきます。この聖句を読む前にイエス様が14章以前に起きていたことを考えてみます。
イエス様はご自分が十字架で死ぬことを預言されていました。つまり、ユダヤ教指導者たちに迫害されて十字架にかけられ死ぬと預言していたのです。これを聞いた弟子たちはもちろん、心騒ぎました。ペテロはそんなことがあってはならないと言ったのです。十字架の死だけではありません。イエス様は三日目によみがえり復活すると言ったのです。ところが弟子たちは何のことかわかりません。ここでも弟子たちの心は落ち着きません。さらに、イエス様は奴隷のように弟子たちの足を洗い、あなた方も同じようにしなさいと命令しました。ここでも、弟子たちは驚きの連続です。もっと衝撃的なことは、12人の弟子たちの中で一人裏切り者がいるというのです。弟子たちは顔を見合わせました。彼らは一体誰だろうと疑心暗鬼になったに違いありません。最後の極めつけは、またペテロに言った言葉です。鶏が鳴く前に三度イエス様を知らないというと言うのです。これらの一連のイエス様の言動に弟子たちの心は騒ぎました。
そんな時にイエス様は次のような言葉を言います。
14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、
14:9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
14:10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

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