男女の関係は古今東西あまり変わらない。というのも人間は肌の色や文化の違いこそ、罪をもっていることに変わりはないからだ。次の言葉を読んでみよう。
20:14 姦淫してはならない。(出エジプト記20章14節)
姦淫とは、神の御心に反した男女関係を指している。婚前交渉や他の人の妻や夫と関係をもつことなどを指している。キリストは、姦淫が単なる行いを指しているのではないと教えている。
5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。(マタイ5章27節ー29節)
姦淫は心の中で犯される。だからこそ、心で何を考えているのが問われている。動機が問われている。キリストによって心を清めてもらおう。今日もキリストと共に人生を歩もう。
聖書には次のような言葉が十戒にある。
20:13 殺してはならない。(出エジプト記20章13節)
動植物は、食料として人間に与えられている。しかし、人間は別だ。どこの国でも殺人は大罪だがなぜ人間を殺してはいけないのだろうか。
人間は神にかたどって、神に似せられて創造された。他の動植物と分けられて特別な存在として創造されたのだ。人間は自分たちの手によって人の命を絶つということは許されていない。それでも人間は罪を犯す。キリストはこの罪のために死んだ。殺人事件を犯した人でもキリストを信じれば神の恵みを受ける。今日もこの恵みを大事にしたい。
旧約聖書に書かれている十戒は、「神と人間の関係」と「人間同士の関係」について書かれている。次の聖句は親子の関係について。
20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。(出エジプト記20章12節)
どんな宗教でも教えていることがあるが、「親を敬う」をそんな教えの一つであろう。もしどんな宗教でも教えているのなら、なぜ聖書の教えがそれほど尊ばれなければならないのだろうか。「結局どれでもいいじゃん」とならないだろうか。実は、神はすべての人間に良心を与えている。その良心に従って人は親を敬うのだろう。しかし、罪人である人間は、自分の都合によって善悪の尺度を変える。文化によって時代によって、正しい教えを変えてしまう。しかし、神の御言葉は変わることはない。善悪の基準に変化はない。聖書には一貫性があるのに気づかされる。わたしは聖書は神の御言葉と信じている。
旧約の時代、神はイスラエルの人々に休息を与えた。次の言葉を読んでみよう。
20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。(出エジプト記20章8節ー11節)
忙しいのは美徳と考える人がある。毎日、途切れもなく働き続けている人たちがいる。この不景気の時代に仕事があることはいいことだ。しかし、仕事がなくても疲れてしまうのも人間だ。今一度、心を落ち着けるために止まってみることも必要だ。自分が何を目的にどこへ向かおうとしているのか、休んで考えてみよう。忙しい時間を過ごしていると、自分がどこにいるのかも忘れてしまう。人生の休憩時間を見つけよう。あわてても、何にも変わらない時があるものだ。わたしが交通事故で3ヶ月入院した時、この事実について教えてくれた。今日もキリストにあって心の安らぎを頂こう。
「苦しい時の神頼み」と言われるが、苦しい時に神により頼んではいけないのだろうか。次の聖句を読んでみよう。
20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。(出エジプト記20章7節)
わたしたちは、「生きる」すべてにおいて神の恵みに頼って生きているのである。楽しい時もつらい時も、いつも神により頼むべきだろう。だから、苦しい時だけ神に願っても、神がわたしたちの祈りを聞いてくれるだろうか。神は、わたしたちの心からの信仰、祈りを受け入れてくださる。いつも神に感謝しよう。
創造主なる神以外に力ある方はいないと聖書は教えている。次の聖句を読んでみよう。
20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。(出エジプト記20章4節ー6節)
人は、唯一の神を物に代えてしまった。人間、動物、植物、太陽、星、その他もろもろ、自然界にあるものを神仏としてしまった。最近は占いの記事、また朝のテレビでも占いを流している。手相から星占いまでいろいろだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦というが、仮にその占いが本当であってもそんなものに自分の人生を委ねるのは愚かではなかろうか。
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各国の歴史、各個人の人生の歴史にはターニングポイントのような時がある。旧約の時代に生きたイスラエルの人々にとってのターニングポイントは、エジプトの奴隷から解放された時であろう。神はイスラエルの人々に語った。その一部を読んでみよう。
20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。
20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(出エジプト記20章1節ー3節)
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