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人は、なぜ祈るのでしょうか。多くの宗教において祈りは、重要な行いです。またまったく宗教心がない人でも、「苦しい時の神頼み」のごとく祈ってしまう事はないでしょうか。
私は、幼少の頃から宗教にはまったく興味がありませんでした。そのせいかもしれませんが、クリスチャンになっても個人的な祈りはまったく皆無でした。祈る意味さえ理解してませんでした。しかも、祈りをいつも疑っていたのです。「祈って何が変わるの?」と考えていたのです。まったく、クリスチャンとしては恥ずかしい限りです。
祈り程、クリスチャンの心を惑わすものはないかもしれません。多くのクリスチャンは、祈りを誤解しているのかもしれない、と私は思います。そこで、祈りに関して、多くのクリスチャンが感じている事を列挙してみます。
- 教会の礼拝の祈りだけで、個人的な祈りはまったくない。意味がないと考えている。
- もし全知全能の神が、過去現在未来、すべてを知っているのであれば、私たちが祈る理由はないだろう。祈っても、祈らなくても、結果は変わらないのだから。
- 祈っても結局何も変わらなかった。「人生、なるようになるしかない」ってこと。祈るよりも、むしろ気楽に暮らした方がいいだろう。
- 自分の思いが叶えられると、神が答えてくれたというけど、それってただの思い込みでしょう。
- 祈るくらいだから、当然、努力もするから目標が達成されるんじゃないか。
どのくらいの割合のクリスチャンは、個人的な祈りを習慣として捧げているのでしょうか。また、個人的な祈りと教会の礼拝での祈りの関係はあるのでしょうか。
どのような祈り方が、神の御心に適った祈りなのでしょうか。また、何を祈ればいいのでしょうか。これらの疑問に丁寧に答えています。

2020年4月19日 なぜ祈るのか

2020年4月26日 祈りの3つの原則

2020年5月3日 天の神を褒め称える

2020年5月10日 神の御国と御心

2020年5月17日 マタイ5章11節 「今日生きるための糧を与えてください」

2020年5月24日 マタイ5章12節 私たちの負い目を赦して下さい

2020年6月7日 誘惑に遭わせず悪い者から救ってください

2020年6月14日 気落ちせず祈り続ける