お元気ですか。インターネットを通して、今日も皆様とごいっしょに、神様の御言葉から御心を学べることに心から感謝しております。御言葉は、わたしたちにいつも光を与えて下さいます。その恵を十分に今日も受けましょう。
さて、今日は祈りについて考えてみましょう。クリスチャンにとって祈りは、主の御言葉とならび絶対に必要なものです。しかし、この祈りは勘違いしやすいものです。間違った概念によって間違った祈りをしやすいものです。
イエス様は祈りについて、福音書の多くの箇所で教えています。イエス様ご自身が祈った祈りは、ヨハネ福音書17章1-5節に書かれています。読んでみましょう。
17:1 イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。
17:2 あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。
17:3 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
17:4 わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
17:5 父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。
17章ではイエス様はまずご自分のために祈っています。そして、弟子たちのために祈り、さらに将来、弟子たちを信じてクリスチャンになる人、つまりわたしたちのために祈っています。犠牲的な精神をもっているイエス様ならまずは弟子たちのために祈ったと思いがちですが、まずはご自分のために祈ったのです。この点に注目してみましょう。
イエス様はご自分が父なる神様から遣わされた目的を実行できるようにと父なる神様に祈っているのです。十字架というゴールは見えていてその人生の目的をまっとうできるように祈ったのです。また、イエス様が人となられる前の栄光、つまり天にいらした時の栄光を思い出し、十字架によって父なる神様の栄光が現れるように祈りました。これらの祈りはわたしたちに非常に多くの意味を与えています。
人にはそれぞれ神様から特別な計画が与えられています。個別の計画です。人それぞれが頂いている役割、計画があるのではないでしょうか。イエス様は、ご自分の役割、目的のために祈ったのです。わたしたちも同様に祈るべきではないでしょうか。まずは、わたしたち自身が神様の御心を知る必要があります。個々、個人に与えられている計画を知る必要がありますね。一人一人、おかれている立場や状況においてこの計画、目的は違いますが、その計画、目的をわたしに知らしめて下さいと祈るのです。
その神様から頂いた計画、目的をしっかりまっとうするために、神様から力を頂くために祈りましょう。わたしたち、クリスチャンは神様の力なしではこの目的を全うするのは不可能です。そしてイエス様が祈ったように神様の栄光を見るために祈るのです。わたしたちが、栄光をみるとは、必ずしも目に見える物理的なものとは限りません。むしろ目には見えない神様の働き、人間が変えられ、イエス様のようになっていくところにあるのではないでしょうか。
クリスチャンであっても自分の目的や役割を理解できない時があります。暗中模索しているときです。または迷っているときです。試練にあっているときです。このような時は、得てして道を外れやすいものです。50%くらいはあたっているのだけど、残りの50%が外れているような状態です。前に進んでいるように感じていても実はまったく進んでいない状態です。空回りしているから余計に疲れますね。クリスチャンはまずは自分の人生の目的をしっかり知ってはじめて、イエス様が敷いてくれている道を歩むことが出来るのではないでしょうか。
よくよく考えてみて下さい。クリスチャンは、自己中心的であってはありません。それなのに、なぜ自分のために最初に祈る必要があるのでしょうか。それは自分とイエス様の関係がしっかりしていないと他の人を助けることなど到底出来ないからです。まずは自分の目の中の丸太をとってからでないと他の人の目の中のチリは取れません。自分の罪を片付けてないで他の人にとやかく言うことは出来るでしょうか。自分の生活に大きな問題、罪、憎しみや怒り、あるいは人間関係において問題を抱えていて、他の人にアドバイスは出来ないでしょう。だから、まずは自分と神様との関係をしっかりするためにも自分の霊的な健康のために祈るのです。イエス様は、盲人が盲人を導くことは出来ないとおっしゃっています。自分が泥沼の中で苦しんでいるのに他の人を助けることはできるでしょうか。他の人を助けようとして、実は自分がいる泥沼にその人を引きずり込んではしまう可能性はないでしょうか。わたし自身がこのような過ちを犯したからわかります。
しかし、この祈りは、自分を幸せにして下さい。あれ下さい。これ下さいといったご利益宗教のような祈りでありません。第一に神様の栄光を求める祈りなのです。ではお手本の祈りをイエス様が教えています。その箇所、マタイ6章9節―15節を読んでみましょう。
6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。
6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
6:12 わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
6:13 わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』
6:14 もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
6:15 しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
祈りは、父なる神様の存在、天にいらっしゃる聖なる義なる愛なる神様を賛美することから始まります。神様を崇めることから始まるのです。わたしたちはこの地上で生かされており、しかも罪という世界の中で生きているのです。神様には知恵があり、わたしたちにはありません。神様には力がありますが、実はわたしたちにはないのです。神様から離れては生きていく、息をすることも出来ないのです。
そして神様の尊い御国が宿るように御心が行われるように祈るのです。これは全世界で神様の御国が宿る、御心が行われるようにという意味もありますが、自分自身の生活の中で神様の支配があるようにと祈るべきではないでしょうか。信仰によってわたしたちは祈りますが、そしてそれが実現されると信じて祈るのです。神様が力を与えてくれると信じて祈るのです。たとえ、それが自分自身にとっては辛いことであっても、または大きな障害であっても、わたしたちが打ち勝つための力を神様は必ず与えて下さいます。
主イエス様は、人生について思い悩まないで、まずは神様の御国と義を求めなさいと教えています。神の御国とは神様の支配です。神様の傘の下に自分を置くといってもいいでしょう。自分が神様の教えに従うという前提があるんです。そして、神様の御国に入るためにも神様の教え、つまり神様の義を知る必要があるんです。だから、神様の御心が行われるようにと祈るのです。わたしたちはつたない罪人です。愚かな人間です。実は右も左もわからないさ迷い人です。主の御心を行われるようにとは、わたしたちが自分の自我から抜け出して神様の支配におくようにという意味だとわたしは考えています。このような祈りの中にご利益宗教の要素はまったくありません。
わたしたち、日々健康に過ごすために食べなければなりません。だから、今日の糧を下さいとお願いするのです。毎日、これからずっと与えて下さいというような元旦にお願いするような祈りではありません。毎日祈るのです。つまり、主なる神様が太陽を昇らせ雨を降らせるように、わたしたちに食事、日々の糧を与えてくれていることを忘れてはならないのです。主なる神様は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ雨を降らせて下さいます。神様は、主イエス様を信じている人たちにはもっと大きな恵を与えて下さいます。溢れんばかりにわたしたちのお腹をいっぱいにしてくださり、祝してくださるのです。
神様を崇めて礼拝して賛美して、神様の御国と御心が宿るように祈り、今日の糧を下さいとお願いした後、人間の一番大きな問題、罪について祈ります。先ずは人間関係における罪です。わたしたちが他の人の罪を赦したように祈ります。この意味は深いです。他の人の罪を赦した同じ尺度で自分の罪を赦してくださいと祈るのです。人間関係においてギクシャクしていたらどうでしょうか。他の人の罪を赦していなかったらどうでしょうか。神様もわたしたちを赦してくださらないでしょう。だから、まずは人間関係における罪の後片付けをしましょう。そして、わたしたちは神様にお願いするのです。罪を赦してくださいと祈るのです。
そして、最後にわたしたちが悪魔の策略にはまらないように祈ります。悪魔は私たち人間よりもずる賢いです。わたしたちの弱点をよく知っています。わたしたちが欲しい物もよく知っていますね。だから、その辺をついてきてわたしたちを誘惑するのです。そのような誘惑に神様の力なしでは打ち勝つことは出来ません。神様はわたしたちを悪魔から守る方です。わたしたちが神様の御国、神様の支配の中にあれば悪魔によって騙されることはないでしょう。だから常に神様の御国を求めましょう。
今日、主の祈りを読みましたが、皆さんはどのように読みましたか。まずは自分のために祈る大切さも強調しました。まずは自分自身が信仰にたってしっかりしなければなりません。神様の御国と支配が自分の心にあるように祈りましょう。御心が行われますように祈りましょう。