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ピリピ2章1節ー11節

  • 2010年1月15日(金) 09:20 JST
  • 投稿者:
    masanngk

お元気ですか。寒い日が続きますね。今日は、聖書配信した聖句からお話をします。

ピリピ2章1節―11節をお読みします。
 
2:1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
 2:2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。
 2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
 2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
 2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
 2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
 2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
 2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
 2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
 2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
 2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
 

自分を無にするのは人間にとって大変難しいことですね。存在そのものを無くすか、縁の下の力持ちのように他の人からは気づかれない存在になるのか・・・いずれにしても人間にとっては難しい課題です。得てしてわたしたちは、自分を低くすることによって自己卑下したり、または自己イメージが低くなりがちです。自分はダメな人間だと思いなさいと聖書は教えているのでしょうか。

むしろ聖書は、主イエス様のように父なる神様を信じて謙虚に生きなさいと教えているのではないでしょうか。神様から与えられる勇気と愛と力によって信仰をもっていきなさいと教えているとわたしは考えています。自分に無にするとは、神様を信じる信仰によってできることだと思います。イエス様のようになることがわたしたちの人生の目標の一つです。聖なるイエス様の信仰、愛をまねることにクリスチャンの成長の鍵があるようです。今日もこの御言葉を心に刻んで生きていきましょう。

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  • ピリピ2章1節ー11節
  • 投稿者:show on 2010年1月15日(金) 13:11 JST

>自分を無にするのは人間にとって大変難しいことですね。存在そのものを無くすか、縁の下の力持ちのように他の人からは気づかれない存在になるのか・・・いずれにしても人間にとっては難しい課題です。

自分を無にするということは、自分というもの(自己)を死にわたすようなものですね。

そして命を自分で保持しようとするものは奪われ、命を出すものはかえって命を得るということであり、

肉の身にある以上、罪ばかりを求めてしまう身体に嫌気がさして、早く死によりその部分から切り離されたいと感じることがあります。

バプテスマは、その罪からの切り離し(死)のはずなのですが、実際の所、バプテスマを受けてそこでいきなり聖人のようになったという人もいるわけではなく、何か自分を含め、「まだ罪を求めるこの身体は死していない。完全に死ななければ罪から離れられないのか」という思いから、早く死をと望む部分も出てきてしまいます。死の後に命が与えられるのですから。

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