このエントリーをはてなブックマークに追加

人気ロックグループの歌手や芸能人が麻薬を所持していた、あるいは麻薬中毒であったというニュースを時々耳にします。麻薬、お酒、タバコ、何にせよ、中毒とは、そのものを吸っていないと飲んでいないと、落ち着かない、心が休まらない状態になってしまうのでしょう。中毒とは分かっていてもやめられないのです。奴隷状態とも言えます。これは非常に極端な例として考えられますが、私たちも何かにはまって止められないってことはないでしょうか。欲望の虜になっていることはないでしょうか。たとえば、お金がすべてと思っている人は、お金の話になると目の色が変わり急に積極的になってくることもあるものです。あるいは、子供を有名大学に行かせることが自分の幸せと考えているお父さん、お母さんにとっては、子供の成功が自分の成功にもなるのです。人間、何に軸足を置いているかによって、ずいぶん見方が変わるものです。イエス・キリストは次のように言っています。

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。(ヨハネ8章31節―36節)

キリストに軸足を置いている人は、物事の見方が違います。日々、私たちの生活にはやらなければならないことがあります。細かいことですが、ゴミだし、食事を用意したり、洗濯をしたり、子供の世話をしたり、そして仕事です。しかし、どれもこれも生活の中心ではないのです。仕事の虜になっている人は、仕事がすべてです。仕事によって振り回されている状態です。仕事がダメなら自分の人生もダメです。子供に軸足を置いている人は、子供の幸せが自分の幸せです。子供が楽しくないと自分も楽しくない状態になってしまいます。このような生活って、他の物や人に振り回されているのではないでしょうか。奴隷状態ともいえます。しかし、キリストに軸足を置いている人は、何にとらわれることはありません。本当に自由なのです。自分が何のために生まれてきて、なぜこの地球上で存在しているか、キリストから教えていただけるのです。

しかし、クリスチャンであっても罪につまずくことはあります。人生の思い煩いや悩みが心から離れない時があるのです。そんな時、私たちは心身ともに疲れてしまうのです。罪に支配されている奴隷状態とは、罪の鎖につながれている状態です。たとえば、ある事について悩んでいたとしましょう。その考えや思いが頭から離れない状態、悩みという鎖につながれている状態です。そんな時、私たちはキリストの言葉に従うと肩の荷が下りるようになります。真理を知り自由になれるのです。また、私たちにイエス・キリストは次のように言っています。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11章28節―30節)

日々の生活の中で人生の重荷を私たちは負います。実は、自分自身で負ってしまう場合がほとんどです。自分自身で疲れるようなことを考え、やってしまうのです。たとえば、人は怒りを覚える時に平常心の時よりも数十倍のエネルギーを使います。悩んでいる時も同様です。あるいは人間関係で神経をすり減らしている時も、その疲れは肉体的にも精神的にもずっしり重くのしかかってきます。こんな時には薬を飲んでも効きません。むしろキリストの下に行って、キリストから人生の生き方について学ぶのです。あなたの人生に安らぎと平安が与えられます。キリストは、偉そうに私たちに「これやりなさい、あれやりなさい」と言ったりしません。むしろ、私たちに優しい言葉をかけてくださり、やさしく諭してくださるのです。この方から人生の生き方を学び、真理を私たちが知る時、心に安らぎが与えられます。これは本当の話です。嘘偽りではありません。キリストの招きに応えてみましょう。心からお勧めいたします。ではさようなら、またお会いしましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です