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招待状

ある日、旧い友人から結婚式の招待状が来ました。何年も会っていなかった友人からの招待状にビックリしました。それもその招待状はアメリカから来たのです。その時、私はどうしたでしょうか。当時、私はちょうど仕事を始めたところで、2人の幼い子供の世話をしながら毎日、必死にやっていました。財政的に苦しかったのも事実です。アメリカに行くための旅費を工面できませんでした。今回は結婚式にいけないことを丁寧に説明して、お断りしました。

私たちは、長い人生の中でいろいろな招待状を頂きます。レストランの無料招待券であったりしたらいいですね。結婚式には招待状が付き物ですが、お葬式の知らせも実は招待状が含まれているのかもしれません。その中で、私たちは、招待を受けるのか受けないのか、行くのか行かないかを決めます。いろいろな判断基準があるでしょう。ではイエス・キリストの招待状はどうでしょうか。

「 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

この招待状は、今、あなたの元に届いています。最近はいろいろな詐欺事件が多いので気をつけなければならないでしょう。見知らぬ人から招待状から来たら、まずは疑って当然です。但し、あなたの周りのお友達が招待状に応えていたらどうでしょうか。その人から情報を集めるのも一つの方法です。確かなものかを聞いてみましょう。

このホームページからこのメッセージを聴いている方の中には、私と一度も会ったことがない方が大勢いるかと思います。私がどんな人間か、どんな事をやっているのか、まったく知らないでしょう。それでも敢えて、皆様に心からお勧めしたいのです。イエス・キリストは嘘偽りを言っていません。本当の本物です。もしイエス・キリストが真実を語っていなかったら、私たちはまったく無視すべきです。なぜでしょうか。キリストは自分が創造主なる神から遣わされた神の子であると言っているからです。これが嘘であれば、キリストは人類始まって以来の大嘘つきになります。どんなに良い事を言っている人でも嘘をつく人は、私たちをだまそうとしているからです。もし信じたら、最終的にだまされるからです。そんな人を信じる必要はありません。

しかし、もしキリストが真実を言っているとしたらどうなりますか。これは大変なことになります。あなたの人生にとって大変なことになります。キリストは、あなたを創造された方です。あなたという人間を生まれた時からずっと知っている方です。あなたの髪の毛の本数さえも知っているのです。あなたの悲しみやつらいこと、いろいろな困難もすべてご存知です。キリストはあなたの人生を助けてくださいます。キリストをあなたが心から信じて委ねる時に、あなたの心に変化が起きます。あなたの重荷をおろしてみましょう。肩の力を抜いてキリストを信頼すると、考え方が変わってきます。人生観も変わります。世界中の重荷を自分が背負っているように感じていたかもしれません。そんな方でも、キリストは助けることが出来るのです。

実は、私もそんな重荷を背負って生きていた人間です。人生の歯車が狂ってどうすることも出来ない時でした。キリストを信じたのです。この方を信じて、人生をもう一度やり直そうと考えたのです。すべての過去をすてて一から出直そうと心に決めて、自分の人生をキリストにかけてみました。何と素晴らしいことがおきたでしょうか。生まれ変わることが出来たのです。

神はあなたを愛しておられます。あなたをいつも見つめています。その愛があなたに届きますように、心からお祈りします。ではさようなら、またネットでお会いしましょう。

人気ロックグループの歌手や芸能人が麻薬を所持していた、あるいは麻薬中毒であったというニュースを時々耳にします。麻薬、お酒、タバコ、何にせよ、中毒とは、そのものを吸っていないと飲んでいないと、落ち着かない、心が休まらない状態になってしまうのでしょう。中毒とは分かっていてもやめられないのです。奴隷状態とも言えます。これは非常に極端な例として考えられますが、私たちも何かにはまって止められないってことはないでしょうか。欲望の虜になっていることはないでしょうか。たとえば、お金がすべてと思っている人は、お金の話になると目の色が変わり急に積極的になってくることもあるものです。あるいは、子供を有名大学に行かせることが自分の幸せと考えているお父さん、お母さんにとっては、子供の成功が自分の成功にもなるのです。人間、何に軸足を置いているかによって、ずいぶん見方が変わるものです。イエス・キリストは次のように言っています。

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。(ヨハネ8章31節―36節)

キリストに軸足を置いている人は、物事の見方が違います。日々、私たちの生活にはやらなければならないことがあります。細かいことですが、ゴミだし、食事を用意したり、洗濯をしたり、子供の世話をしたり、そして仕事です。しかし、どれもこれも生活の中心ではないのです。仕事の虜になっている人は、仕事がすべてです。仕事によって振り回されている状態です。仕事がダメなら自分の人生もダメです。子供に軸足を置いている人は、子供の幸せが自分の幸せです。子供が楽しくないと自分も楽しくない状態になってしまいます。このような生活って、他の物や人に振り回されているのではないでしょうか。奴隷状態ともいえます。しかし、キリストに軸足を置いている人は、何にとらわれることはありません。本当に自由なのです。自分が何のために生まれてきて、なぜこの地球上で存在しているか、キリストから教えていただけるのです。

しかし、クリスチャンであっても罪につまずくことはあります。人生の思い煩いや悩みが心から離れない時があるのです。そんな時、私たちは心身ともに疲れてしまうのです。罪に支配されている奴隷状態とは、罪の鎖につながれている状態です。たとえば、ある事について悩んでいたとしましょう。その考えや思いが頭から離れない状態、悩みという鎖につながれている状態です。そんな時、私たちはキリストの言葉に従うと肩の荷が下りるようになります。真理を知り自由になれるのです。また、私たちにイエス・キリストは次のように言っています。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11章28節―30節)

日々の生活の中で人生の重荷を私たちは負います。実は、自分自身で負ってしまう場合がほとんどです。自分自身で疲れるようなことを考え、やってしまうのです。たとえば、人は怒りを覚える時に平常心の時よりも数十倍のエネルギーを使います。悩んでいる時も同様です。あるいは人間関係で神経をすり減らしている時も、その疲れは肉体的にも精神的にもずっしり重くのしかかってきます。こんな時には薬を飲んでも効きません。むしろキリストの下に行って、キリストから人生の生き方について学ぶのです。あなたの人生に安らぎと平安が与えられます。キリストは、偉そうに私たちに「これやりなさい、あれやりなさい」と言ったりしません。むしろ、私たちに優しい言葉をかけてくださり、やさしく諭してくださるのです。この方から人生の生き方を学び、真理を私たちが知る時、心に安らぎが与えられます。これは本当の話です。嘘偽りではありません。キリストの招きに応えてみましょう。心からお勧めいたします。ではさようなら、またお会いしましょう。