賛美はア・カペラが一番

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星の数ほど教会がありいろんな種類のキリスト教が存在します。賛美のやり方も様々。歌がうまい人たちだけが歌う教会もあれば、バンド・コンサートのような賛美のやり方もあります。一般的なのは、楽器演奏で歌う方法でしょう。そんな中で、私たち、横田キリストの教会は、ア・カペラで賛美を捧げます。

宴会のカラオケと賛美の対比

酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。

エペソ5・18-19

1世紀にいても宴会の席がありました。酒に酔いしれて、楽器に合わせて様々な歌がうたわれていました。しかし、クリスチャンはそのような宴席に出席する必要はありません。なぜなら、身を持ち崩すもとだからです。「むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」と諭されています。

1世紀の教会は、ア・カペラ賛美

歴史的な背景は不明ですが、1世紀の教会が楽器を使わずにア・カペラで賛美していたのは事実です。旧い契約下では、礼拝で竪琴のような楽器が使われていました。しかし、新しい契約下になると、楽器は礼拝で使われなくなりました。未だ、明確な学術的な理由は示されていません。

私たちの群れは、1世紀の教会がア・カペラで賛美していたという単純な理由から、その良い伝統を守っています。実際に、教会に楽器が取り入れられるようになったのは、16世紀に入ってからです。

いつでもどこでも、必要な時に賛美が出来る

そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。

使徒行伝16・20-25

パウロとシラスは、主イエス・キリストの福音を伝えていた故に、牢屋に入れられてしまいます。すべてをはぎ取られてしまったわけですから、当然、楽器など持ち合わせていません。しかし、彼らは賛美を始めます。

楽器伴奏に慣れてしまった人たちは、楽器がないと歌えないと感じているのではないでしょうか。しかし、1世紀のクリスチャンのように、ア・カペラで歌いなれている人たちは、どこでもいつでも必要な時に賛美を出来るのです。私は素晴らしい事だと思います。

ちなみに、私は家で朝一番に賛美をします。楽器の伴奏など必要ありません。賛美は祈りでもあり、信仰告白でもあります。歌声をあげるだけで励ましを受けます。

賛美は、ことばで表現するもの

旧約聖書の詩篇は、著者の神を褒め称え神の恵みに感謝し、また苦しみや悲しみを吐露している祈りです。これらの詩篇は、旧い契約下では賛美として使われました。このように、賛美は、人間のことばで言い表すものです。

楽器を演奏する、神から頂いている能力を使って、神を褒め称えることは出来るでしょう。しかし、賛美の基本は、ことばで現す歌声だと、私は思います。

ピアノや楽器に教会のお金を使わない

写真のような楽器を揃えるには、安い物でも100万円はするかもしれません。そのような物に教会の献金を使うことが果たして神の御心であるかと私は考えます。他にもっとお金の使い方はないでしょうか。もし賛美を自分の娯楽のために考えているとしたら、本末転倒ではないでしょうか。賛美の歌声は、神に向かって上げられるべきです。

賛美は、みんなで神を褒め称えるもの

賛美は、礼拝に参加している人、すべてが捧げるものです。声が出ない方々も手話で賛美を捧げることができます。賛美は、心から出てくる私たちの祈りでもあるのです。教会でみんなで祈りをするのに、一人外れて何か他の仕事をしている人はいるでしょうか。みんなで祈りをする時は、教会の奉仕をしていても、その奉仕を一時止めて祈りをします。

賛美も、祈りもみんなでするもの。この考え方からすれば、楽器を弾いていて歌わない人(引きながら歌うのが難しいので歌えない人)がいるのは、神に喜ばれるものではないと私は思います。

賛美は、肉声で心から出るもの

人間は、様々な楽器を発明してきました。素晴らしい音色を出す楽器が世界中にあります。しかし、神が創ってくださった最高の楽器は、私たちの肉声です。神が創ってくださった楽器で、つまり私たちの口と声で歌声を上げるのが一番最高の賛美のかたちではないでしょうか。

音がとれなくても、歌があまりうまくなくても、天の神はそんな事は気にしていません。神が見ているのは、私たちの心から出る歌声であり、そのことばに表れている意味、感謝の気持ち、褒めたたえる心です。

クリスチャンの自由

私たちは、ア・カペラで賛美を捧げますが、楽器を使っている人たちを否定している訳ではありません。私たちは、ア・カペラが一番良い賛美の方法だと信じています。クリスチャンには、何をするにおいても自由があります。ピアノ・オルガン伴奏で賛美も出来ます。ギターやドラムといったバンド演奏でコンサート風に、賛美も出来ます。それらの賛美も、神に喜ばれる賛美ではないでしょうか。

同時に、私たちは、ア・カペラ賛美がいろんな賛美の方法の中で、一番、神に喜ばれる賛美の方法だと信じています。だから、私たちは、ア・カペラで賛美を奉げるのです。

補足ノート:ア・カペラで賛美をするようになって、はじめて音符を意識して歌うようになりました。音楽を勉強するになりました。音楽音痴の私には、これは副産物となりました。

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